土田人形
土とアロマは相性がいい
「土は液体を吸収する性質があるので、アロマのエッセンシャルオイルと相性がいいんです。根付けやペンダントにアロマオイルを染み込ませることで、持ち歩いたときにより香りを楽しめるものになります。僕は気楽にリラクゼーションといっているのですが、お客様は気に入ったデザインに気に入った香りを組み合わせるという楽しみ方をされているようです」という土田博之さん。京陶人形を手がける土田人形の3代目です。
平安時代に貴族の子供たちがままごと遊びのようなものに使っていた紙や土、木などで作った“ひいな人形”が発祥といわれる京人形。江戸時代以降は雛人形などの節句人形、幼子をモチーフにした御所人形、時台風俗を写したものなど多彩な人気を柄が生み出されてきました。人形作りには様々な素材が用いられますが、特に土偶や埴輪を起源とする粘土で作り焼成して彩色する素焼人形は、昭和32年に京陶人形と命名され独自の道を歩むようになりました。
時代の変化を感じて販路の拡大へ
京陶人形はデザインと粘土を使った原型づくり、石膏を使った型作り、生地と焼成、彩色などいくつもの工程があり、かつては工程ごとの分業生産が行われていました。土田さんはこれらを自らの工房でトータルに手がけるようにし、オリジナルのデザインを提案しています。「僕は美大を出て家業に入ったのですが、しばらく修行した後、全国の百貨店で物産展の実演に行かされるようになりました。北から南、ハワイにも行きましたね。まだ若かったですからよくはわからなかったですが、なんとなくお客さんの反応や何がウケるかとか肌で感じるものはありました。それを12〜13年続けていたのですが、だんだんと物産展が縮小されていったんです。お客さんに京都のものを買うなら京都に行って買うという行動の変化があったと思います」という土田さんは、先代の成功例をなぞりながらも疑問を感じていたといいます。それは問屋の下請けだけでこれからも大丈夫なのだろうかという疑問です。時代の変化を肌で感じていたからこそ、シェアを分散していかないといつかは危機が訪れるという予感でもありました。
「まずは銀行の異業種交流会に参加しました。経営者の勉強をしようと思ったんです。それが28歳の頃ですね。地場の銀行ですから伝産関係の2代目や3代目も多くて、この活動の中で下請けだけではダメだと気付きました。問屋がダメになれば共倒れですし、自社で売り先を作らないと厳しい。元々、昔から動いていた物がどんどん減っているというのも感じていましたから取引先を増やすことが必要だと感じました」。そこで土田さんは次に商工会議所の販路拡大事業に参加します。
アドバイザーの言葉に衝撃
当時の土田人形の商品は、雛人形などの節句や歳時記物、七福神や十二支などの縁起物が主流でした。「会議所のKyotoStyleCafeという催しに参加したのが約12年前。それまで漠然と土にしかできない商品を作りたいと思っていましたが、それがスタイルカフェのアドバイザーとの出会いで形になっていったんです。それから9年続けてギフトショーに参加して新商品を作り続けました。それが今のオリジナルブランドの主力になっています」。アタマで考えていたものが具現化できたという土田さんは、この事業でのアドバイザーのアドバイスが衝撃的だったといいます。
「人形を作るのをやめましょう、インテリアの商品として作りましょうといわれるわけです。招き猫を作ったときも、サンプルを持っていくと“その顔を消して下さい。顔のない招き猫を作りましょう”とわれても、最初は理解できなかった。でも良かったのは顔を作って持っていったことです。人形の顔を表現するには骨格が必要なんですね。骨格があると顔を消しても顔がイメージできますし、買った人が自分の好きな顔を思い浮かべることができるんです。またこの時はインテリアとして顔のない猫だけでは弱いというので、アクセサリーで実績のあったアロマを浸み込ませるのではなくで、お皿に垂らして人形を被せる方法を思いつきました」。
ディティールへのこだわり
京陶人形は型物が主体ですが、土田さんは自社の強みをデザイン、質感、表現力へのこだわりだといいます。「人形は立体的なので形が大事なんです。そして固い土で表現するのですが、毛並みの違いとか柔らかな質感をいかに表現するか。色の塗り方にしても濃い色をベタって塗るのが京陶人形の伝統ですが、そこに水を入れてムラがでるようにするとやわらかい質感が生きてくるんです。ツルっとした表面に色を塗るだけだと他に何か付け足したくなるのですが、質感があると情感が出ますし、立体感や陰影がついてくるんです」。デザインにこだわると型が取れなかったり、質感も型で表現出来なければ量産できません。ここに土田さんの長年の経験と一貫生産の強みが生きています。デザインと型作りを自分で手がけることで、量産体制と同時に手作りの味を生かすポイントが生まれるわけです。
ギフトショーへの出展を通じて商品開発を学んだ土田さんは、京ものの招き猫を作ろうと思い立ちます。「それまでの招き猫はボテッとしたフォルムの瀬戸物ばかりで、京の招き猫はありませんでした。そこでコンセプトをお公家さんの世界として、今までのイメージとは異なるスリムで柔らかく細かな毛並みの猫にしました。顔も公家の天上眉ですし、表情も不思議で妖しい、何を考えいるかわからない様なものにしました。すると皆さんこれがいいと人気になったんです」
オンリーワン商品は気付きから生まれる
ギフトショーへの出展を通じて百貨店からポップアップや催事への参加依頼も増え、お客様からの情報や商品のヒントにつながっているといいます。
「売場に立つとお客さんから色々な話を聞くことができますし、この時に僕は名前や日付、メッセージを直筆で入れることを始めました。これもアドバイザーから学んだことですが、オンリーワンの商品開発も大げさなことではなくて、自分でできることでお客さんにとってオリジナルな物になればいいということですね。この結果、今ではファンができて僕が売場に立つ日に来てくれたり、干支はここで買うと決めていただいたり、ありがたいことにコロナの時もこの売上げは落ちませんでした」。
また干支やご神体など大量生産を使用することが多かった神社の授与品でもオリジナルの依頼が増え、今では30%近くのシェアを占めるほどで、顧客リストは以前の50倍を超えたといいます。自社で原型をつくるから提案も早いし、成約率も高くなったという土田さん。開発コストを低く抑えられ、直接取引だから利益率もアップすると、ここでも一貫生産のメリットが生きています。
京陶人形の魅力を次世代へ
「ギフトショーに出展した効果は、びっくりするくらい情報が拡散することですね。いろんなところから電話がかかってくるし、オファーももらえます。これも9年間出続けた成果だと思いますが、新しいことにチャレンジしている工房というイメージをもっていただいているので、費用以上に反響はあったと思います」という土田さん。昨年はTV取材などメディアへの露出も増えているとのことで、京陶人形に興味を持つ人を増やしていこうと学生の工房見学も受け入れるようになりました。
パリのメゾン・エ・オブジェにも行きたいし海外にも出て行いきたいと、まだまだ市場開発に意欲的な土田さんですが、今は足元を固める時期として後継者育成に注力していきたいといいます。アロマやインテリアなど、京陶人形の新たな可能性を切り拓いてきた土田さんが、次世代と共に“土”と“人形”にどんな付加価値を作り出していくのか注目していきたいと思います。
土田人形
京都市右京区梅津南町1番地10
TEL : 075-871-6834