芸艸堂
古美術・骨董店が並ぶ美術通りとして知られる寺町通りに店を構える1891年創業の芸艸堂。日本で唯一の手摺木版本を刊行する出版社です。元々は京友禅や西陣織など和装業界に木版印刷の和綴じ美術書を提供するプロのための専門書出版社でしたが、今では美術館の図録やミュージアムショップで、その名を目にすることが多くなっています。
浮世絵に代表される多色摺り木版画の技法は江戸時代に確立され、下絵を描く絵師、版を彫る彫師、色を摺る摺師という分業制の出版業として発展し、隆盛を誇りました。明治中期頃から機械印刷の普及とともに、文字やモノクロ写真の印刷が機械化される中でも、多色刷りの美しさは木版摺が好まれました。特に和装業界が活況だった頃には、和装の図案家のアイデアの元となるデザインブックという役割を担っていた木版本は、最盛期には毎月数多く出版され、京都では和装向けの図案印刷という市場が残りました。
版画出版から絵画の版画化へ
現在、代表取締役を務める4代目の山田博隆さんは、その変化について次のように語ります。「1990年頃からそれまでの呉服の図案見本帖の売上げが減少傾向にあり、93年くらいには顕著に感じられるようになりました。私は93年に入社したのですが、最初の頃の仕事は図案本を図案家や染元、呉服メーカーの意匠部に届けるというものでした。当時はまだ弊社と同業のところが5〜6社ありましたが、徐々に廃業するところが増えていきました」。
和装向けの木版図案本の発行部数は100〜150冊。木版画の制作は時間がかかり、1冊が仕上がるまでにはかなり時間を要するので、摺り上がった順に頒布し1冊分が仕上がると版画を戻してもらって製本して納めるということもあったといいます。こうした工程は昔から続いてきたやり方で、取引先との信頼関係がないと成り立たない方法であり、出版社側の資金繰りからも必要な方法だったといいます。ところが和装の斜陽期に入ると共に需要が減少していきました。
「手摺木版は発色がキレイで、プロの目に耐えられるしっかりとしたものですから、オフセット印刷などの技術が向上しても一定の需要はキープできていました。もちろん弊社でも木版だけでなくニーズに合わせた印刷技術を採用していましたが、手摺木版のハイエンドなお客様が主でした。同業者にはオフセット印刷の出版に鞍替えしていったところもありますが、弊社は本の発行をしながらも、おつきあいのある日本画家の複製など観賞用の版画も手がけて、百貨店の京都展で販売するといった多角化に早くから取り組んでいました。この販路の広がりが和装需要の衰退にも耐えられた要因だといえるでしょう」という山田さん。「もともと弊社は創業時から観賞用木版画を海外向けに輸出していた歴史がありますから、観賞用の版画を販売するのは特別なことでは無かったと思います。弊社では1960年代後半から三越百貨店の京都展で販売が始まり一般顧客向けの木版画が全国へと広がっていきました。」
時代を超えて評価されるモダンな日本デザイン
こうした販路の多角化もあり和装の衰退期を乗り越えてきた芸艸堂は、今ではポストカードや一筆箋、和綴じノート、扇子、トートバッグからクリアファイルやマスキングテープといった今風の雑貨まで、所蔵する図案を生かした商品を送り出す一方で、代々受け継がれた出版技術や膨大な版木を生かして、かつての人気シリーズの復刻にも取り組んでいます。この背景となったのは、芸艸堂に残る明治や昭和の画家たちの再評価でした。
「美術館の中では工芸の地位は決して高いものでは無かったのですが、最近は少し変わってきています。学芸員の中には図案家や木版画を研究している人もいて、これまでは浮世絵までしか取り上げられていませんでしたが、明治から昭和初期の版画作家まで再評価されるようになってきました。輸出目的に作られていた当時の版画が、海外のコレクター経由でアートとして位置づけられるようになってきたということもあると思います」という山田さん。きっかけとなったのは2003年に京都国立近代美術館で開かれた神坂雪佳の回顧展でした。欧米で評価の高かった芸艸堂で摺られた雪佳の作品が、2001年に“ル・モンド・エルメス”の表紙と巻頭を飾ったことからスポットが当たり、雪佳の斬新な意匠美は一躍注目を浴びるところとなりました。神坂雪佳の作品は海外の美術館でも紹介され、国内でも百貨店のポスターに採用されたり、2014年にはユニクロのTシャツに用いられるなど、一般にも広く知られることとなりました。
職人の技術と材料の継承へ
手摺木版本は、版木に色をのせ、色ごとに紙に摺り込んでいく印刷技法で、一枚一枚が手作業です。それを何十ページも束ねて和綴じの一冊の本にするものです。原画を元に、木版摺りには版木を彫る彫師、それを刷る摺師、印刷に合う和紙を漉く職人、製本する経師と多くの伝統技があってはじめて完成するものです。2017年に芸艸堂が復刻した“北斎漫画”では、200年前の江戸時代の技術そのままに復刊するというもので、途絶えていた土佐の“須崎半紙”を新たに漉き、技術の継承と手摺木版本の価値を伝えようという試みでした。完成までに約2年間を費やし、膨大な費用をまかなうためにクラウドファンディングを活用するという一大プロジェクトとなりました。
芸艸堂はもともと版画の彫師や摺師を抱えていたわけではなく、図案の開発や版木の管理以外は工房に依頼する分業スタイルをとっていました。昔は工房が彫りと摺りの職人を抱えて版画を仕上げていましたが、時代の変遷と共に彫師、摺師は各々の職場で作業される職人が主流になっているそうです。
「今の課題は若い職人の育成もありますが、和紙の原材料や版画作りに必要な工程の材料が無くなってきていることです。これは他の伝統工芸でも聞く話ですが、高齢化や後継者難から国産の材料を生産する農家や担い手が減っています。弊社がお願いしている摺師は10人ほどいますが、60代が中心で間が空いて20〜30代前半という構成になっています。昔は版画や浮世絵以外にもお菓子の掛け紙など若手が修業時代に手がけられる仕事があったのですが、そういう仕事が無くなっているものですから、弊社では手摺りの木版ハガキなど後継者の育成につながる仕事もお願いしているわけです。紙を漉くとか、版画を摺るという仕事には若い人も入ってきますが、もっと川上の材料になると元々農家の副業のようなものもあるわけですから、どうしても後継者が育たない。弊社のような木版画業にしても大量に作って売れるような環境を作って、産業として成立するものでないと川上が育たないという危機感を持っています」という山田さんは、職人と技術を絶やさないためにも今日の市場に合った商品の開発は不可欠だといいます。
今の時代に輝くアートへ
芸艸堂ではコンビニのコンテンツ事業にも協力してファミマプリントの塗り絵シリーズで“北斎漫画”を販売したり、琳派400年と任天堂のスーパーマリオブラザース30周年記念に画家・山本太郎氏の描いた“マリオ&ルイージ図屏風”の木版画を制作するなど、所蔵作品の復刻と現代の木版作品の両面で新たな木版制作を行っています。
「百貨店の催事で売場に立っていて感じるのは、木版印刷を知らない人がどんどん増えていることです。普段目にする浮世絵などは印刷物が主で、価格は廉価です。本来の木版画印刷の価格に驚かれるのです。でも一方で版画に興味を持ってくれる若い人がいるのも実感しています。若い世代がすぐに木版画を購入できるわけでないので、手軽な価格で手に取ってもらえる雑貨類を制作する事で、木版画や和柄の良さを感じて欲しいと思っています」という山田さんが雑貨と平行して期待するのが美術館を通じた近現代の作家への注目です。
「明治から昭和にかけて活躍した図案家の残した作品が、日本のデザインとして海外で紹介されることも増えてきました。弊社の歴史の中でまだまだ知られざる図案家・版画家はたくさんいますし、国内外で高い評価を得ている近代作家もいますから、まだまだできることはあると思っています」。かつて出版した木版摺りの図案集の希少価値はいうまでもなく、展覧会の図録、作家の図案を生かした雑貨などを通じて、山田さんは今のマーケットに合った版画のブランド化も視野に入れているようです。
海外は魅力的なマーケット
「日本の図案を研究する学芸員が過去の発行物を辿っていくと弊社で作った木版書籍に行き着くということもありますし、ヨーロッパやアメリカは版画の理解者が多く、個人のギャラリーから美術館まで日本の版画もたくさんコレクションされていて、今も買われています。過去の弊社の受注をみても明治から昭和の高度成長期まで輸出は好調でしたし、コロナ渦でも海外からの受注は減りませんでした。アップルの創業者スティーブ・ジョブズがコレクションしていたことから大正から昭和期の新版画が注目されたように、海外で評価を得て逆輸入されることが多い日本の作品ですが、芸艸堂は海外向けの多言語サイトもあり、世界のマーケットに発信することで新たな版画時代を作っていこうとしています。
まだまだアジアでは複製というイメージで捉えられていると山田さんはいいますが、芸艸堂の木版画は原画のレプリカではなく、版画という伝統技の結集した作品であり、日本文化のDNAを表現したものです。デザインの目利きであり、伝統技を守り育てるプロデューサーとしてUNSODOのこれからに注目していきたいと思います。
美術書出版株式会社 芸艸堂
京都市中京区寺町通二条南入妙満寺前町459番地
電話: 075(231)3613
営業時間: 9:00~17:30
店休日: 土・日・祝祭日
https://www.hanga.co.jp/