奏絲綴苑
上七軒の工房で綴織の伝統技に触れる
西陣の綴織機屋の3代目として生まれで60年以上を綴れ織りと共に歩んできた伝統工芸士の平野喜久夫さんが、2011年に立ち上げ工房を公開している奏絲綴苑。上七軒の五辻通りの昔ながらの京都の路地に出された看板には英語でも記されています「Soushitsuzure-en Textile Studio」。
綴織りは正式名称を西陣爪搔本綴織といい、機械を使わずに人の手と足だけで操作する綴機を使って織り上げる西陣織の中でも最も歴史があり、美術織物の最高峰として知られています。ノゴギリ状に切った爪で搔いて織っていくという特徴からその名があります。文様の部分部分に織り込んでいく細かな織り技なので、複雑な文様になると1日かけても1センチほどしか織れないという貴重な織物です。
伝統技は産業から文化へ
西陣の織物産業の衰退を目にして「産業として残すのは難しいと思っていました」という平野さん。そこで「興味を持ってもらう人を作り、趣味でもいいし、細く長くでもいいので技として残し、伝えていきたいと思うようになりました」。そこで立ち上げたのが綴織技術保存会の名を冠した奏絲綴苑です。熟練した職人と若手職人の交流や技術の継承、広く一般人たちにも体験していただけるよう10台以上の手織りの織機を用意しました。
そんな頃、国の観光産業の振興政策もありインバウンド需要が急増、工房の入り口に掲げられた英語看板もこうした経緯で生まれたものです。もちろんホームページにも英語の紹介文を掲載し、体験の受け入れも積極的に行ってきました。
「今は海外からのお客様や観光の方はほとんどありませんが、一方で体験がギフト商品としても流通しはじめています。伝統的なものや非日常的なものに価値を感じる時代なのかも知れません。私はもともとは後継者育成という西陣織会館での取り組みの延長でスタートした経緯もあり、1日体験と同時に長期講座も設けていましたし、綴織に触れて伝統の技の深みを感じたり、何かを見つけて欲しいという思いがありました」という平野さん。
教室やワークショップという体験の機会を作るなかで、工房に集まってくるお弟子さんたちのことも考えてつくりはじめたのがアクセサリーやグッズへの活用でした。
「産業となるためには、わかりやすいもの、生活に用いられる商品にしないと売れないと気づきました」という平野さん。「当初は体験に来て知ってもらう、自分で織ってみることで、こんなものを織ってみたいという気持ちの延長から欲しいという思いにつながればいいと思っていました。体験に来られる方には自分で絵を描いて来て、1日では出来上がらずに3日通われた方もいます。けれども織りたいという気持ちが欲しい、買いたいという欲求にはなかなかつながらない。そこで女性たちが手に取りやすいものや体験の見本としても活用できるものを考案するようになりました」
生活の中で求められるものを
奏絲綴苑をはじめて約10年。習いたいという人もいれば、後継者になりたいという人もいて、行政や知己のある西陣の機屋さんの協力を得て仕事として成立させることに奔走した時期もありましたが、技術と工賃のバランスを取るのが難しく、今は新たな商品作りを通じて次のステップを目指しているという平野さん。伝統技術を保護して残すだけでなく、伝統技術が大切だと感じられてもらえる環境作りが必要と考え、日常生活に取り入れられる商品づくりに取り組んでいます。
残る伝統が未来をつくる
伝統を残すというより残るものにしたい、そのために取り組んでいるのが仏像の織物。「今、織っているのは浄瑠璃寺の仏像ですが、これを織る技術を見せながら、綴織の付加価値を伝えていけたらと思っています。お寺に残された仏像を見て千年以上経っていても、こんなにキレイだと感じる。仏像も何度も織ってきましたが、復元にとどまらない美しさが必要だと感じていますし、神々しさとか、心地いい色とか、機械でできない綴織ならではのホンマモノを残したいんです」という平野さん。年齢を考えるとあと何年続けられるかといいながら工房の今後に話が及ぶと、新しいものづくりから売ることも含めたトータルに考えられる人材づくりまで、綴織の未来のためにできることへと次々と広がっていきます。この工房の発信から次の世代へのバトンリレーに期待は高まります。
綴織技術保存会 奏絲綴苑
京都市上京区西柳町590-8